奇跡とは、神界と呼ばれる区域
(高山の頂や、その周辺の峰々といっ
た、平地より空に近い場所)に住むとされる天使が行使するとされる力で、個々の天使の持つ力量によって行使される力の規模が決まる。
※人が天使の助勢を
頼み奇跡を行使するには、天使の住む神界に赴くか、神殿や礼拝堂で祈って天使を召喚する必要がある。どちらにせよ天使と対面しなければならないわけで、天
使の前に立つことが出来て初めて、望みや願いを伝え、判断を仰ぐことが出来るようになるのである。天使が承諾すれば、奇跡を行使する場所は神界や神殿に限
定されないのだが、ともかく天使と対面するための場所で祈るという前準備が必要であるため、好きなときに好きなように行使できるというわけではない。
魔法とは、魔界と呼ばれる区域
(深い森や砂漠の奥地、海の底、火山の
火口など人が住むにはあまり適さない場所)に住むとされる悪魔や魔獣の行使する力のことで、特に
神界から離反した天使(神
界の信徒からは堕天使も
しくは悪魔と
呼ばれる)が、その信徒と契約し、契約に則って行使する力を指す。
悪魔の信徒は
悪魔崇拝者と
呼ばれ、その中でも魔法を行使する者を
魔法使いと呼ぶ。
基本的に、行使される力の内容は奇跡も魔法も変わらないのだが、奇跡と魔法とを分かつ
決定的な差異が一つあ
る。
天使が信徒の願いを叶えるために奇跡を行使する際、
「天使や神への強い信仰心」と
「願いの正当性」を信徒の祈りの中に認めさえすれば
何の代償も必要としないの
に対し、悪魔が魔法を行使して信徒の願いを叶える場合は
信徒の寿命を縮めてしまうの
だ。
すべてを天使自らが行う奇跡と違って、悪魔が魔法を行使する際には悪魔自身が直接手を下すことはほとんど無く、多くは
「信徒へ力を貸し与え、それを行使する許可を与える」という形を取るのだが、悪
魔から貸与される力は人の肉体に多大な負荷を与えてしまう。頑強な精神と肉体を持つ者は魔法を行使しても多大な疲労を感じたり神経衰弱に陥ってしまう程度
で済むが、場合によっては肉体が著しく老化したり、魔法の行使と同時に即死する可能性もある。
それだけの危険を伴った代償を課した上で、悪魔は信徒の願いの軽重をはかり、判断を下すのである。
※そこまでして慎重
に行使しなければならないほど、天使や悪魔の持つ力は強大だ、ということだ。どのような願いを、どこまで手を貸し、どこまで実現させてやるか――そういっ
た問題に対する意見の相違が、一部の天使に神界からの離脱や離反と
いった行動を取らせ、その行為が神界の信徒から堕落や堕天と呼ばれるようになる。
また、神界の天使の中でも高位に位置する大天使たちは、人の身では登坂不可能と思われるような標高の高い山に住んでいるため、そこに直接参内して祈る者
には、魔法の行使と等しいほどの生命の危険が課されている。しかし、ほとんどの信徒は神殿で祈るだけであり、その祈りを受けて天使が神殿に降臨するのだか
ら、通常、奇跡の行使に命の危険はない。
魔法の行使が術者の寿命を縮める、というのは上記のような理由によるのだが、その事情を詳しく知らない
(もしくは知ろうとしない)神
界側の信徒には、悪魔が信徒の魂を喰らっているように見える。
悪魔契約の代償が人間
の魂である、という認識はこの誤解をもとにしているのだ。
そしてこの誤解をもとに、自分の命ではなく他者の命を差し出すことで願いを叶えようとする
偽りの悪魔崇拝者と呼
ばれる人々が現れる。彼らは悪魔に生け贄
(多くは赤子や年若い処女)を捧げ、悪魔を召喚し、願いを叶えようとする。しか
し、そんな生け贄をいくら捧げようと悪魔が願いを叶えるはずもなく、偽りの悪魔崇拝者は自らが喚んだ悪魔に殺される場合が多い。
※そういった偽りの
悪魔崇拝者が行った儀式で生け贄となった者は、ほとんどが無意味に死を迎え消滅する。
しかし、そんな犠牲者の中で悪魔に命を救われる者もいた。
人として死を迎え、それでもなお生きながらえた者は肉体構造が人と違ってしまっていて、主となった悪魔からの力の供給が途絶えない限り、老いることな
く、死ぬこともない特別な存在となる。悪魔が貸与する力への耐性も極度に高められ、人の身では行使できないような魔法をも行使する。それは悪魔の眷属とで
も喚ぶべき存在であり、それ故に魔女と呼ばれるのだ。
生け贄儀式で傷を負わされてから助けが訪れるまでの間に生命を維持できる可能性があるのは、ある程度年齢を重ねて強い生命力を持った個体に限られる。そ
の上、生け贄にされる対象に女性が多いために魔女には妙齢の女性が多いのだが、中には少数ながら男性も存在する。
また後年になって、偽りの悪魔崇拝者たちの誤解を誤解とせず正当な信仰であるとする人々が現れ、彼らの信仰に後押しされる形で、本当に「人の魂を喰
らい、人をだまし、利用し、また己の信奉者に利益を与える」悪魔たちが誕生する。そういった悪魔は、「神界から離脱し、異なる法で人心をたぶらかす神界の
敵」といった意味で呼ばれていた従来の悪魔と呼び分けるために、「真に悪を為す
邪(よこしま)な者」といった意味で真魔、邪
魔と呼ばれることも
ある。
真魔や邪魔の登場に伴って、従来の悪魔は悪魔と呼ばれることも少なくなっていった。現在(プレザントアルケミーの時代)で
は、神界にある天使は「山
の神」、魔界にある天使は「地の神」と呼ばれ、悪魔という呼称は真魔にのみ使われることが多い。もっとも、魔界という呼称は未だ残っているし、そこに住む
者を悪魔や魔獣と呼ぶ慣習も完全になくなっているわけではない。たとえば、「地の神」の統括者たちは未だに魔王と呼ばれている。
行使するたびに極度に疲弊したり、即死する危険すらある――そういった代償を必要と
する魔法を、もう少し人の身でも御しやすい力に変えようと努
力する魔法使いたちがいた。
彼らは悪魔と契約して魔法という物の本質を学び、悪魔や魔獣の助言を得て、少しずつ新しい法術を生み出していく。
それには多くの目的が込められていたのだが、その中で一貫して魔法使いたちが目指した目的があった。
つまり「時と場所を選ばず、人の寿命を代償としない自由に行使できる法術」の
完成、である。
ある一派は、自然界に存在する元素霊や自然霊、妖霊や精霊といった、天使や悪魔よりも力の劣る、それでも人より強大な力を持つ者と契約し、力を行使する
方法を模索した。
ある一派は、いったん自身の肉体とは違う何か(木の札や紙片、岩石や液体)に魔力を込め、肉体への負担を軽減しようとし
た。
そういった、魔法に似た効果を持つ、魔法よりも劣化した法術――これを魔術と呼び、各々の術
の性質によって精霊術や封札術、宝石魔術などと呼び分
けるようになる。
多くの魔法使いたちが魔術の模索を進める中、ある一派は魔力や呪文と
いった様式そのものを放棄し、物理的な処方によって魔法に似た現象を発現させる方法を模索するようになった。この一派は、その研究の過程で医学、薬学、物
理学、地質学、化学、科学といった諸分野を派生させ、鉱石の製錬技術の著しい発展をも促した。
そして、それまでは路傍の石として捨てられていた屑鉱石やそれによって作られた工芸品の中から、金を抽出することにも成功する。それは魔力にたよらずに卑金属を金に変える驚
嘆すべき技術であると賞賛され、錬金術の名で呼ばれる
ようになるのだ。
そうして魔術や錬金術などが確立されていった後、さらに魔術と錬金術の統合(もしくは融合)が行われ始める。
魔術の中に錬金術を取り入れ、また錬金術の中に魔術を取り入れ、お互いがお互いの境界を守りながら、相互に影響を及ぼしあい、さらなる発展を遂げ続けて
いるのである。